目的意識をクリアにして、英語を身につけた後で何をするのかを明確にイメージする

石橋宜忠 (Yoshitada Ishibashi)さん (大手インターネット広告代理店 取締役)

静岡県出身。  大学時代、アメリカンフットボールに熱中。 休学して、テキサス工科大学に語学留学し、大学を卒業後、大手コンサルティング会社に入社。南カリフォルニア大学(USC)、国際ビジネスプログラム(IBEAR)にて、経営学修士課程(MBA)を取得。 帰国後、ベンチャー企業の参画を経て、コンサルティング会社を設立。 現在は、インターネット広告代理店の取締役として活躍中

1、英語との出会い

私は、小学生の頃、英会話学校に通っていました。当時、静岡県の田舎で、英会話学校に通っている子供は、非常に少なかったと思っています。今では、なぜ自分があの学校に通っていたのかさえも、思い出せない状態です。たぶん、親が将来のことを案じて、学校に行かせてくれていたのだと思います。

ひとつだけ覚えているのは、自分の名前にニックネームがつけられ、それを呼び合っていたのがすごく恥ずかしかったことです。それが何なのか?全く理解できずにいました。

 

2、大学に入って

普通に大学受験を終えて入学し、体育会アメリカンフットボールに入部しました。 毎日が練習の日々でした。 そんな中、強くなりたい一心で、海外のアメリカンフットボールの文献を真剣に訳したのを覚えています。 勉強以外で、実務で英語に触れたのはこれが最初でした。 しかしながら、ほとんど受験のためにしか、勉強したことがなかったため、理解するのが本当に遅かったのを覚えています。 一方、クラブには、たまたま帰国子女がいて、彼の翻訳スピード(読みながらすぐに訳す)には、非常に驚きました。 こんな人がいるのかと。 それまで、英語は「勉強のため」というイメージ強かったのですが、「コミュニケーションとしてのツール」だと感じたのはこの時が初めてでした。

 

3、最初の留学体験

大学時代、アメリカンフットボールに没頭していたため、他のことをやったことが無かった私は、卒業を1年延期し、アメリカに留学することにしました。 社会人になる前に、どうしても海外、しかもアメリカを見ておきたかったのが動機でした。

テキサス工科大学の語学コースを4ヶ月間受講しましたが、最初の出来事は

今でも忘れません。 飛行機を乗り継いで20時間以上経って、やっとテキサスの地方空港まで着き、なんとかホテルまで辿りつくことができました。その旅程でほとんど機内食しか食べておらず、お腹がすいていた私は、ホテルでルームサービスを頼みました。この時、はじめて電話(内線)で英語の会話をしたのです。 しかし、私は“ハンバーガー”を頼みたかったのですが、全く通じず、最後には、“お前は英語をしゃべっているのか?”といわれる始末でした。(本当は違うことを言われたかもしれませんが。) 自分はハンバーガーを食うこともできないのかと打ちのめされた経験でした。

留学そのものは、非常に楽しく、英語の勉強よりも、いろんな人と遊ぶことに熱中していました。ドミトリーのルームメイトもアメリカ人で、仲良く4ヶ月間過ごすことができました。 ただ、後に気づくことになるのですが、結局は英語学校の各国の外国人の間で、お互いネイティブでない環境で話すことが出来たにすぎず、それをコミュニケーションと勘違いしていたのです。

 

4、社内試験と転機となる先生との出会い

大学卒業後、コンサルティング会社に入社した私は、国内プロジェクトのみに配属され、英語との接触はなくなりました。 将来、自分が40-50歳になる頃には、必ず国際社会が来ることが予想されていましたが、日々の忙しい業務の中で、見えない目的や漠然とした将来のために、英語の勉強を自主的に行う意欲はありませんでした。

そんな中、社内でTOEIC試験を受験する制度が作られました。確か、28-29歳頃だったと思います。忙しいプロジェクトの中、ある日、クライアント先から自社に戻り、社内の会議室で試験を受けました。 その結果、なんと300点台!(370点付近)だったのです。 当時、社内の役職(マネージャー)以上の中で、最低点だったかもしれません。(人事部は教えてくれませんでしたが、いろんな人と会話していて、私より点数の低い人は見つかりませんでした。)

一方、その頃入社してくる新人は、年々非常に英語レベルが高く、普通に英語を使える人が多く入ってくるようになっていました。そして、それらを身近に感じていた私は、「将来やばいぞ・・」と実感していました。 そのため、大きなコンサルティングプロジェクトを終了し、2ヶ月間の有給休暇をとった時、昼間の英語学校に思い切って短期入学しました。この時の学校の先生との出会いが、自分にとって、大きな転機になりました。

この先生の授業は、すごい衝撃でした。単に英語を教える(暗記させる)だけでなく、映画の話や歴史の話など、文化に踏み込んで話をし、聞いていてものすごく楽しく、そして奥の深さを知らされました。

 

5、MBAへの決意

30歳になった頃、一通の年賀状が届きました。それは上記の先生からでした。先生が独立して英語学校を作るという話でした。また、私にとっても自分の人生をどうしていくのか?を真剣に考える機会になりました。それまで、コンサルティング業務を全力でこなし、それなりの評価は得ているものの、本当に将来大丈夫なのか?という不安がありました。そんな中、先生の新しい学校に、英語だけでなく考え方や文化なども学ぼうと通うことにしたのです。 そして、先生とも話を重ね、将来の自分の可能性を拡げて、かつ来るべく国際社会に向けて自分が40-50歳までいきいきと活躍するために、MBA取得に米国へ行くことを真剣に決意しました。

 

6、MBAへの勉強

週末は、実業団のアメリカンフットボールチームに所属していたため、空いているのは平日の朝の時間しかありませんでした。先生に無理をいって、朝6時30から1時間半、授業を行い、TOEFL・GMATの勉強をしました。しかし、30歳を過ぎて勉強を開始すると、単語が全く頭に入っていきませんでした。社会人になってから、考えることばかりになり、暗記するという作業を脳に訓練していなかったため、単純に覚えることがものすごく苦手になっていました。また、業務をやりながら英語の勉強を続けているものの、テストの点数に結びつかない日々が続き、非常にあせっていました。そんな中、英語の勉強に専念するため、アメフトを引退し、会社を休職することにし、1日10時間以上、英語の勉強を自分に課しました。しかしながら、最終的になかなか点数に結びつかなかったのを今でも覚えています。この時ほど、本当に若いうちにもっと英語を勉強しておけばよかったと後悔しことはありませんでした。

 

7、MBA入学と真のコミュニケーション体験

なんとかMBA入試に合格し、結婚もして家族でアメリカに行くことになりました。しかし、ここから本当の苦労が待っていました。ここまで座学での勉強ばかりで、コミュニケーションの練習はほとんどしていませでした。MBA入学後、最初のあいさつから始まり、すべての発言局面が緊張の連続でした。授業でも、自分がコンサルティング時代に経験したことが多く、クラスメイト等に言いたいことが山ほどありましたが、口から出てくるのは、その10分の1にも満たない内容でした。 その結果、クラスメイトに対して貢献できていない自分がいて、本当に悔しくも歯がゆい思いの連続でした。 また、各国から集まるクラスメイトたちと話が出来ないことには、お互いに理解が深まりません。授業だけでなく日々の生活でも、自分の考えやポリシーなどを各国の人間に伝えることの手段として、英語でのコミュニケーションがいかに大切かを痛感しました。 そして、それができない自分に本当に悔しい思いをしました。このMBA課程の生活では、英語は正にコミュニケーションや勉強のツールでしかなかったのです。 それまで、“英語”を身につけることを目的に勉強してきた自分にとって、ツールとして、本当の意味での必要性を感じた経験でした。

 

8、これから英語の習得を目指す方へ

私が体験した過程は、皆さんも同じように辿るのではないでしょうか? 大学受験までは、英語の点数をとることが目的かもしれませんが、最後にコミュニケーションのツールであることに気づいて壁にあたるのではないでしょうか?

これからの国際社会では、相手の考え方や背景、そして文化までも理解するためのコミュニケーションツールとして英語や他の言語が必要になってくると思います。

私の経験を繰り返さないためにも、若い人には目的意識をクリアにして、英語を身につけた後で何をするのかを明確にイメージすることをお勧めします。また、できるだけ若い時から英語学習に取り組み、継続的に能力を磨いておくのも必要かと思います。

継続は力なりですので、皆さん頑張ってください。